2014年06月25日

現代詩の長女


忙しくても、どうしても、この「茨木のり子」展には行きたかった。


私もまだ若いオイラのころ(80年代)、マガジンハウスから出ていた「鳩よ」
を読んでいたんです。


「鳩よ」は詩の月刊誌だったかな?季刊誌だったかな。


芸術仲間の影響で、吉祥寺・三鷹に住みつき、古くは中原中也、現代では谷川俊太郎、
茨木のり子の詩を読みました。
私が住んでいた近くには、太宰治が入水自殺して死体があがった玉川上水もありました。
明星学園の近くです。


深く分からないのに、気取って 詩、ポエム、ソネットを読んで芸術談義したかった
んですね。わーい(嬉しい顔)


しかし、今でも私のトイレには、シェィクスピアのソネットとジャン・コクトーの
詩集が置いてありますよ。手(チョキ)

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「現代詩の長女」


と、言われる茨木のり子さんは、私のお袋とほぼ同じ時期に生まれ
戦中を生き抜き、昭和、平成を駆け抜け、活躍した詩人です。


茨木さんは、お袋の姉で三鷹に住む私の叔母に似ているので、親近感を持っていました。
お袋は自分の青春を語るような人ではなかったので、この同時代に生きた茨木のり子さん
の詩は、潜在的にその時代にお袋たちが感じていたことを語っているのではないかと
思ったわけです。


会場で「私が一番きれいだったとき」「倚りかからず」を読んでいると涙腺が緩み
どうしょうもなくなりました。また、励まされました。


まだ私の喪は明けてませんね。


会場の世田谷文学館は「坂口安吾展」以来、ずいぶん来ていませんでした。
最寄りの京王線芦花公園駅も変わってしまいました。


駅までの帰り道、吉祥寺時代を思い出していると、一匹の白い蝶々が私の前に現れ
7秒ほど、私の右肩あたりを並行して飛んでいました。


「よくいらしてくれました」とでも言いたげに、飛んで去って行きました。
リフレッシュできた日でした。


次こそカレーレポートかな。



posted by 初級教室 at 02:14| Comment(0) | 芸術鑑賞

2014年06月16日

台本(戯曲/脚本)について書こうかな


梅雨ですね。

しかし、この「らくがき」と題したブログも、私専用になってしまった。


娘のような唯一のメンバーは、自分のブログで忙しい。
そろそろ、ウチのお教室からメンバーを増量(お菓子のよう)しようかと思う今日この頃です。


そうじゃなければ「初級教室のらくがき」というタイトルを「太田実のらくがき」にしますかね。


カレーや映画のことばかりだと、イカンのでそろそろ演劇に関係あることを真面目に書き
ましょうか。それは、ウチの演技教室でも、このブログを覗いている可愛い生徒がチラホ
ラいて、カッコつけてね、彼女、彼らのためにと。

ブログで専門分野のことを書くなんて、自分では「野暮じゃない〜」とウジウジ考えちゃ
いますが…。でも、そうゆう所を変えて行かなきゃいけない、とも思っています。わーい(嬉しい顔)


では、行きますか。


そう、台本が分からないと口にする生徒が多くいます。
厳しいようですが「分からない」と口にしたとたん「私はまだまだアマチュアです」と
宣言したのと同然だと思ってください。



数回しか読んでいないにも、かかわらず「分からない」とギブアップする。
「なんでこんな行動をするのか分からない」「なんでこんなセリフを言うのか分からない」
なぜ行動するのか、なぜ台詞を言うのか可能性を考えてもみない。



それは、そうです、思考や感受性が俳優としてではなく、一般の人と変わりがない感受性なの
にお金を稼げるプロの俳優になろうとしているからなんですよ。



思考能力や感じる心。つまり感性がまったく育っていない。
簡単に理解できる完成されたドラマや映画など既製品ばかり見ていると、全て映像や言語で
説明してくれることに慣れすぎて、文字だけで書かれた世界を想像できない。
見えないものを感じ取る力がまったくなく、鍛えられていない。


戯曲や映画の脚本は、ト書き(行動)と台詞しか書かれていません。
小説や漫画のように、親切ていねいに登場人物の感情の描写や行動の理由は書かれて
ないのです。



なぜ、本屋さんには、販売されているドラマのシナリオ(脚本)や戯曲が極端に少ないので
しょう?


小説のように、親切ではないから、一般の人には理解が難しい、読み込むには、鍛えられた
想像力!これが必要になるのです。簡単には読み込めない。だからシナリオや戯曲は本とし
て売れないのですね。



一般の人や素人さんは、すべて説明して欲しいのです。(はっきりしてもらいたい)
そこで初めて理解できて先へ進めるわけですね。ようするに、考えなくていいから、思考が
いらないナビゲート付な読み方が手軽で楽しいんですね。



じゃあ何で、戯曲やシナリオは、事細かく感情やら行動の理由を説明して書かないのか。


演出家、監督らに作家とは別の解釈ができる余地を残すからなんです。と、同時に俳優も
そうです。実際に分析や稽古を重ねてて演じても、その感情にはならない可能性もある
わけです。
俳優が変わればまた違うし、役として持った目標なり目的が違えば、感情もまた変わる。
ただ、台詞は自分が言うのではなく、役が言っていることを忘れてはいけません。
これを忘れると「自分には分からない」となりますね。


だから、台本(戯曲、脚本シナリオ)とは素っ気ない、ト書きと台詞でできているの
です。土台になるだけなんですよ〜少しゆるいんです。どう感じろと決めつけないん
です。



しかも、人間の発する言葉には、ウソが多いということ。
文字通りという言葉がありますが、文字通りじゃないことは、必ずあるということ
です。


「元気です」と言えは、文字通り取れば、いいのですが、元気ですと言った人が、落ち
込んでいるのに、相手に心配を掛けまいと、気を使い、空元気で言う「ウソ」の場合も
ある。
自分の役がどんな状況でそこに立っているかで、感情は台詞と反対を示すこともあるの
です。


難しいですね。
作家の意図に到達するプロセスは俳優が選択できるということなんです。


分からない箇所が出てきたら、隠れていた役(キャラクター)の要素を発見
できるチャンスが来たと思った方がいい。
矛盾した行動を起こすには、役の独特のクセや何かを示しているかもしれない。
と考えて、3つぐらいの可能性を探し、どうしても分からなければ、脚本家
や演出家に相談することですね。




解釈や分析の違いのいい例が、ロシアの大作家チェーホフは「かもめ」を
「喜劇」と思い書いたのに、偉大な演技教師、演出家のスタニスラフスキーは
「悲劇」に仕上げてしまい、観客に大絶賛を受けたという有名な話。


そのころの喜劇がどんな基準だったか分かりませんが、物語を引っ張っていた
登場人物(ほとんど主役)が最後にピストル自殺をするんですよ〜作家は「喜劇
」だといい張る。がく〜(落胆した顔)



でも、作家側として、このチェーホフの気持ち良く分かります。
私の書くユーモアの描写やギャグがほとんどの人が笑わない。もうやだ〜(悲しい顔)
ほんと悲しいですよ。もう少し私の台本を理解してくれる人が
いればいいのになあ〜


しかし、ちょっと自慢!初級教室のVol.01「恋愛研究所」複雑な構成で現代、
古代、戦国時代と時間軸が入れ替わるまるでSFの構成。これは、面白い!と
理解してくれ大絶賛してくれた人が数人いて、その一人は、この公演を見て
私の演技クラスに入ってきました。手(チョキ)


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確かに彼女は読書家で色々なタイプの小説や絵画に触れてきた人でした。
解読力が優れ才能にあふれてました。


しかし、人生は皮肉なもんで、そうゆう感受性が高い才能のある人に限って、
いいお相手と出会い早々に俳優をあきらめ、お嫁さんになってゆきました。


さあ、自慢話も出ちゃったし、専門分野のことを書くと長くなりますね。
今日はこんなところで止めておきます。


生徒諸君には、私小説や恋愛小説もいいけど、不親切な戯曲やシナリオ
を直接読むこともすすめます。
たまには、不条理劇もいいでしょう。

複雑な構造の台本には、サスペンス、ミステリー小説やら読むといいかも。
戯曲や映画のシナリオは素直な時間軸で構成されないことも多いしね。

具象もいいけど、抽象絵画、理解困難なコンテンポラリーダンス、などなど
感受性を鍛えてください。「分からない」と投げ出さない。何らかの作者の
意図を見つけなさい。確定できなくても予想でいいから考えなさいと言いた
いです。


次回はカレーレポートですかね〜

posted by 初級教室 at 01:48| Comment(0) | 稽古